2005年1月31日
震災・親父の死と「夢の本フェア」の開催

 昨年の11月3日から8日まで、小田原駅前の八小堂書店で夢工房15周年記念のブックフェア(BF)を開催した。先に15周年記念出版物として『牧野信一の文学』を刊行して、それなりに小社の出版活動の節目となったので、それ以上のことは念頭になかった。ところが、八小堂の小泉さんに、これまで夢工房で創った全部の本を集めたフェアをやったらとのお誘いがあった。これまで手がけた本をずらーっと一堂に会したことなどなかったので、これは絶好の機会とご好意に甘えさせてもらった。

 そのBFの準備に取りかかろうとしていた10月23日、震度7の新潟県中越地震が発生した。土砂崩れ、家屋倒壊による被害など、日に日にその悲惨な実態が明らかになった。ふるさと長岡の実家も柱は傾ぎ、壁が崩れたが、幸いにも家族に怪我はなかった。新幹線、関越道の損壊により、陸路の交通は途絶した。気はあせるものの行くこともままならず、30日夕方には恒例の神田・神保町の「本の得々市」BFに首都圏出版人懇談会の一員として参加し、その日は東京泊、翌日のフェア2日目に備えた。

 その払暁、父が亡くなったとの報が携帯に入り、急遽、秦野に引き返した。あわただしく方々に連絡を取り、翌日午前中に取材を受ける予定をその日の夕方に変更し、BF用の本を八小堂に持ち込んだ。喪服を抱えて家族4人が臨時の新潟行きの飛行機に羽田から乗り込んだのは1日の昼、夕方のお通夜にようやく間に合った。2日は告別式、野辺送り。火葬場は震災の影響を受け長岡では受け入れられず隣の町まで行った。3年前に自転車に乗っていて交通事故に遭いその後遺症で入院していた親父。太い骨が焼き上がった。米づくりに生涯をかけた87歳の男の最後だった。自分の代で造った家から送ることができたことがせめてもの慰めだった。

 夜伽を早々に済ませて、一般道を弟の車で越後湯沢まで送ってもらう。そこから新幹線に乗り秦野に戻った時には日が変わっていた。3日の朝早く八小堂に行き会場の準備に取りかかる。11時のフェアのオープンに何とか間に合った。これまで夢工房で作り上げた本は、市販本100冊、自費出版本は大小取り混ぜて300冊余の合計4百数十冊。そのうち300余りを展示、販売した。あわせて自費出版の相談を傍らで受け付けた。

 初日オープン早々には夢工房立ち上げ以来のわが師とも言える故・岩崎宗純さん、内田哲夫さんの奥様から生花が届いた。会場にはこれまで関わりのあったさまざまな人たちが入れ替わり立ち代わり来場していただいた。一般紙・地元紙など新聞社の取材も複数入り、後日、夢工房の仕事を「地域の夢づくりのお手伝い」という記事にまとめてもらった。そこからさらに本づくりの仕事が広がっていった。

 感謝すべきは、夢工房が依って立つ地域、支え続けてくれた人々、文化発信基地でもあった書店、本の情報を絶えず取り上げてくれた新聞であり、最良のパートナーである連れ合いであった。ところが、フェア終了の2週間後、街に寒風が吹き始めるころにフェアの企画を立ててくれた八小堂書店が閉店となった。夕刻、八小堂の前に車を止めると、シャッターが下りていた。取次ぎの車が横付けされ、本の引き揚げ作業が終わったところであった。「長い間ほんとうにお疲れ様でした」小泉さんに声をかけた。地域の出版文化の担い手がまた一つ消えた。


「団塊サミット」と本づくり

   12月11・12日、紅葉の残る鎌倉・建長寺で第1回団塊サミットが開催された。主催は北鎌倉湧水ネットワーク。代表の野口稔さんとの付き合いはまだ5年ほどに過ぎない。鎌倉と丹沢というフィールドの違いはあるものの、ともに一市民として自然保護運動に取り組み、自然との関わりの中で暮らし方・生き方を模索しているという共通項があった。

小社が出版した『神奈川猛禽類レポート』についての取材を野口さんから受けたことが縁で、同じ団塊世代ということもあって意気投合。2001年7月には『北鎌倉発ナショナルトラストの風』という本を夢工房で発行、昨年3月の「丹沢シンポジウム」には講師としてお呼びし、「団塊世代よ 帰りなん、いざ故郷へ! 食の安全と地域再生のイメージ」というお話をしていただいた。

 シンポジウムの後の恒例の懇談会で、酒を酌み交わしながら「団塊サミットを開こう!」と参加者は気勢をあげた。野口さんはその後、幅広いネットワークと実働部隊のスキルを使ってサミットの準備を進めた。企画立案から、パネリストの依頼、コンサートの出演交渉、ポスター・チケットの制作と販売、マスコミ・ミニコミへの情報提供などなど、さまざまな課題をその道のプロの技を結集して見事に撚り上げてしまった。市民のネットワークの総合力である。

 建長寺の宗務総長の高井さんの法話と座禅、リラ自然音楽研究所の歌手・青木由有子さんの癒しの歌声が建長寺本堂の280名の参加者に染み渡った。シンポジウムは4人のパネリストとコーディネーターで、690万の団塊世代が迎える定年を目前にした今、故郷や自分の愛する場所・地域でこれからどのように自分の居場所を見つけるかをテーマに話し合われた。高度経済成長下で環境破壊に手を染めた団塊世代の後ろめたさをどのようにしてこれからプラスに転化するか。今から「自然」と「社会貢献」をキーワードに準備する必要を訴えた。小生はその総合司会を務めた。

先の丹沢シンポジウムのエッセンスと団塊サミットのパネリストのメッセージをまとめて野口さんの第2弾の本づくりを企画している。原稿はまもなく完成し、メールで届く予定である。