2004年3月5日
想像力を創造に変え


まちづくりに「市民力」を

秦野の本町四ツ角周辺の空き店舗などを活用した「わいわいはだの市場」が、11月22日から30日まで開かれた。商店街、自治会、商工会議所、文化団体、NPO、秦野市が加わった実行委員会が主催し、県の湘南地区行政センターが協賛した。

 野外コンサートや青空市、多数のグループ・団体が、小学生から市民、プロの作家までの絵画、写真、彫刻、工芸、俳句、絵手紙等の作品を十二か所の会場に工夫をこらして展示した。さながら手づくりアートの街と化した商店街を人々が行き交った。

 シャッター通りとも言われる商店街の空洞化は全国の地方都市共通の悩みで、この市場は地域活性化への一つの試み。初日には「大学生と語ろう四ツ角の未来」と題して若者の発想と力を街の元気づくりにとフォーラムを開催。最終日のまちづくりシンポジウム「『秦野の近代』再発見!」(市民が創る秦野のまち主催)では、関東大震災後の復興に直面した地域の人々のまちづくりの実践報告も。

 廃墟と化した本町四ツ角の道をどのように再建するか。多くの困難を乗り越え、幅員をそれまでの倍の六間に。街の将来を見つめた豊かな想像力がその後の秦野の街の賑わいを創り出した。歴史を繙けば、秦野には近代以降、先人達の進取の精神があった。地域の暮らしと経済を支える近代水道、軽便鉄道、町営電気等、他に先駆けた協働の取り組みが現在に連なる。

 夢がある。秦野には近代の商家や蔵、民家が多数現存している。それらを結ぶ路地、散策路沿いには丹沢の湧水のせせらぎや緑のポケットパーク。近代の建物は、美術館やコンサート等市民のアートの発表の舞台、市民手作りの店、丹沢のソバやピザ等を味わう憩いの場となる。さらに、1997年に調査・解体・保管され出番を待っている明治末の創建と推定される旧梅原家洋館を再建した広場。市民の交流・情報発信によるソフト経済や秦野らしい街並みを創り、市民が行き交い、集う。それは丹沢山麓の盆地景観にふさわしい安らぎの街となるだろう。

 先人に学び、多くの市民の想像力を創造力に変えていつの日か正夢にと思う。

                           (神奈川新聞2003 年12月10日「あしがら抄」転載) 片桐 務

深耕の成果を未来へ


地域文化の担い手は

「夜の会」という出入り自由な会がある。その第62回フォーラムが2月13日、40名の参加者を得て小田原駅前、八小堂書店のギャラリーで開かれた。この夜のスピーカーは、県立生命の星・地球博物館学芸部長の高桑正敏さん。「丹沢の昆虫相」をテーマに1時間半程、丹沢の現状やチョウ・甲虫類等の生態やその変化の意味をスライド上映と合わせて興味深く聞いた。

かつて秋田県能代市に「山脈(やまなみ)の会」というサークルがあった。この会は参加自由で共に学びながら自己を伸ばし地域文化を豊かにする運動を続けた。先人の想いを現代に生かそうと、「夜の会」が発足したのは1993年。参加者が互いの専門や仕事、研究等をテーマに語る。共に学び合える限り2か月に1回、参加費500円、缶ビール一本でスピーカーの話を聞くという自由で肩肘張らないスタイルで始まった。

会には、箱根細工の職人、大学教授、郷土史研究家、旅館主、新聞記者、図書館人、僧侶、書店主、行政マン、会社員、編集者等多彩な人々が集まった。その道の名人・達人、専門家の話は巧まずして地域の歴史・文化や自然、暮らしの断面を鋭く捉えていた。3年目からは会報「夜」を発行し、その内容を順次、要約・再録し市民の財産とした。

 夜の会に集うメンバーは小田原出身の文学者・思想家である北村透谷の没後百年を記念して九四年に透谷祭を開催。翌年には『北村透谷と小田原事情』を発行し、透谷祭は10回になる。また小田原が生んだ文学者牧野信一、川崎長太郎、尾崎一雄の生誕・没後記念の会を主催し、市民の手で文学によるまちづくりを進めた。

 99年には夜の会の発足に中心的な役割を果たした三名とナチュラリストを加えた編集委員会を組織し、県西地域の人々が「生活文化の過去と今を共有し希望を将来に託す」という視点で「小田原ライブラリー」を企画。2001年秋にはシリーズ第1巻「坂口安吾と三好達治―小田原時代」を発刊。これまでに11冊を刊行し、今年は五冊を小社より出版の予定である。

 地域を深く耕し、過去と今を未来に伝え、創造するのは現在に生きる私たちの使命である。夜の会・透谷祭・ライブラリー編集委員会等でその柔らかな企画力を発揮された岩崎宗純さん。箱根正眼寺の住職、優れた中世史の研究・教育者であり、箱根・小田原の自然、歴史、文化、暮らしや人々をこよなく愛し続けた岩崎宗純さんが旅立たれた。

夜の会は正眼寺が発祥の地であり、小田原と箱根で交互に開催するフォーラムの会場でもあった。曽我堂の桜を見ずして彼岸に赴かれた岩崎さんの想いをどのように受け止め、地域文化を深耕したらよいのか呆然とする。未来を切り拓くその礎を乗り越え小さな歩みをと思うばかりだ。合掌

                            (神奈川新聞2004年2月25日「あしがら抄」転載) 片桐 務

丹沢山麓交遊録 TOP へ